近隣にお住まいの方々に治療室の存在を知っていただこうと、時間のある時にご案内のチラシをポストに投函して歩いている。
ポストに様々な形やデザインがあることに感心しつつ、添えられた注意書きのバリエーションが面白い。「チラシお断り」と書かれているお宅は結構あり、中には「入れないで!」と切実な手書きもあって、そういうお宅にはむろん投函しないが、時折「入れたら警察に通報します」とか「着払いで返送します」などの過激なものあり、その剣幕に圧倒されてしまう。
逆に「毎日ありがとう」「ごくろうさま」といったステッカーが貼られているのを見ると、それが郵便や新聞の配達員の方に向けられたものだとわかっていても、何となくホッとする。

そんなことを繰り返しているうちに、脅し文句を見た時は無意識に息を詰め、感謝の言葉を見た時はふーっと息を吐いていることに気づいた。
子どもに対する”言葉がけ”の影響を感じることはあったけれど、大人の自分が、しかも直接言われたわけではないポストの注意書きの言葉に、体が反応していることが興味深かった。

そして、コロナ禍の生活で呼吸が浅くなるのは、マスクのせいだけではないのだ、と気づいた。もう2年もの間、私たちの暮らしには”脅し文句”が溢れている。感染防止のための禁止、中止、自粛、ソーシャルディスタンス、消毒etc.、つまり○○しないと感染する/させる、というメッセージである 。それが私たちの健康や生命を守る意図であるにせよ、というより、だからこそ、多くの人が脅かされて文字通り”息を詰めて”生活していると言えるだろう。

不思議なことに、呼吸が浅くなっている時はそのことにあまり自覚がなく、息が深く入って初めて、これまでの呼吸が浅かったことに気づく。
先日、施術中に腹部に愉気(気をおくること)していると、受けている方が「何だか急に泣けてきました」とおっしゃった。息がお腹に入り、呼吸が深くなると体がゆるむので、心もゆるんで抑えていた感情が流れ出てきたのだろう。そんな体の人が、今は多いのかもしれないと思った。