”普通サイズ”
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
年始に実家で小学5年生の姪に会ったら、
身長が160センチを超えていて驚いたけれど、
同じ位の身長の女の子が学年に3人もいるというので更に驚いた。
ふと思いついて靴のサイズを尋ねたら、 「24センチ。
でもこれ以上大きくなったら可愛いデザインの靴が履けなくなるからヤダ。」
と口を尖らせて答える彼女に深く共感した。
というのは、私も小学6年の学校行事前に靴を新調しようと訪れた靴屋で
「24.5センチは作ってないんです」と言われた経験があるからだ。
その時欲しかったピンク色の靴と、自分のサイズが”売り切れ”ではなく
”作っていない”と言われた時の疎外感のようなものは今でも覚えている。
昔に比べたら、靴も洋服も大きいサイズの扱いが格段に増えたとはいえ、
姪の指摘通り、”可愛いデザイン”のものはいわゆる”普通サイズ”に
偏っていると私もずっと感じてきた。
メーカーは商品を多く売りたいからボリュームゾーン向けが多くなる、
という理屈は理解できるが、その行動が人々の中に”普通の身体”像を
形成・強化している、という側面は否めないと思う。
例えば、若い日本人女性の痩せ過ぎが度々指摘されながら全く改善されないのは、
メディアの影響もあるけれど、もっと現実の問題として、”普通サイズ”から外れると
着られる服の選択肢が少なくなる、ことも大きな要因だと経験的に思う。
体に合った服や靴が選べるなら、服や靴に合わせた体になる必要はなくなる。
11歳の女の子が「大きくなったらヤダ」と思う状況はどう考えても不健全である。
そもそも”普通サイズ”というのは、人々の身長や体重のデータの平均値を
基準としているのだろうが、実際には”普通の身体”などというものはなく、
”それぞれの身体にとっての普通”があるだけだ、と思う。
私がそのことに気づいて納得できたのは、今の仕事に就いて
様々な人の身体を診させてもらうようになったおかげである。
とは言え、今でも靴屋で「お客様のサイズはお作りがありません」と
無造作に告げられて気に入った靴をあきらめるたび、
”普通サイズ”の人はいいなあ、と思うのもまた事実である…