偏り疲労

先日、久しぶりに友人と会って食事をした。



たまにメールをやり取りするくらいで、電話で話したり



リモートで会ったりはしないので、コロナ騒動が始まって以来ほぼ2年ぶりである。
人と直接会って話す楽しさを改めて実感して帰宅した夜、いつになくよく眠れた。



眠りの質が良く、目が覚めた時に頭も体もスッキリしている。



たまたまかな、と思っていたが、翌週別の友人と会った日の夜も同じだった。

それでようやく、自分の頭が偏って疲れていたこと、



久々の会食でその疲れが抜けて深く眠れたこと、に思い至った。

整体法では、いつも使い過ぎている処に”偏り疲労”が溜まり、



それが体の異常の原因にもなると考える。



日常生活では頭も体も同じような動きを繰り返すことが多く、



いつも使う部分だけが疲れるので、時には普段使わない部分を使うことで、



全身のバランスが整い、体が弾力を取り戻せる。
…そんなことをいちいち考えなくても、会食や旅行、イベントといった



非日常を適度に生活に取り入れることは、コロナ前は誰もが自然にしていたはずだ。

私自身は元々あまり出掛けたり、頻繁に人と会う質ではないので、



会食や遠出の制限はそれほど苦痛ではなかったが、



割といつも同じパターンの生活の方が落ち着くタイプなことも相まって、



頭の使い方がだいぶ偏っていたのだろう。



友人と会い、たわいもない話をして笑うことで、



しばらく使っていなかった部分が刺激され、結果として頭の疲れが平均化?され、



深く眠れたのだと思う。

ついでに、友人と会った日の夜は、声がガラガラになった。しゃべり過ぎである。



趣味の合唱はずっと続けているので、喉を使っていないわけではないが、



学生の頃に合唱団の先輩から「地声でのおしゃべりは声帯を痛めるので、



本番前は禁止!」と注意されていた通り、使い方が違う。

そんなわけで、頭も声帯も、偏って使うと弱るのだと体感したが、



それと同じようなことはほとんどの人に起こっているのではないか。
つまり、生活から”不要不急”を排除することは、”要と急”に偏ることであり、



結局、心身の健康を守るどころか損なっているのではないかと思うのである。